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浦和地方裁判所 昭和52年(ワ)736号 判決 1979年7月24日

原告

飯島照子

被告

出口忠良

ほか一名

主文

一  被告らは、原告に対し、各自、金二四八万二七九四円および内金二二八万二七九四円に対する昭和五一年二月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、被告らの負担とする。

四  この判決は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自、金二五〇万円および内金二二五万円に対する昭和五一年二月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

原告は、昭和五一年二月二二日午後九時ころ、被告水山清吾が運転する同出口忠良所有の普通乗用自動車(多摩五六せ二六一四号以下「加害車」という。)に同乗していたところ、同車は、浦和市南浦和町二―三四先交差点において、加害車の左側から同交差点に進入してきた訴外池場豊運転の普通乗用自動車(大宮五五と六五五二号)と出合頭に衝突した(以下「本件事故」という。)。

2  原告の傷害および治療の経過

(一) 原告は、本件事故により左第四肋骨々折の傷害を受け、本件事故発生日から昭和五一年三月一日までの八日間、青木病院に入院、加療を受けた。

(二) ところが、原告は、青木病院入院後二、三日してから、右耳の聴力が損失しているのに気づいたため、その旨を同病院の医師に訴え、更に、同病院退院後転医して、小田原市の自宅近くに所在する山近病院に昭和五一年三月九日から一九日まで通院し、前記左第四肋骨々折の加療を受けた際も同病院の医師に右耳の異常を訴えるとともに同市所在の耳鼻科専門医である荒井医院の荒井医師の紹介を得て同月一八日から東海大学医学部附属病院耳鼻咽喉科にて右耳の加療を受けた。ところが、昭和五二年三月四日、同病院の担当医である新川敦医師より、病名は、右神経難聴、平均一・二dBの聴力損失があり、病状固定により、その回復は不可能、今後の通院は不要と考えられる旨の診断を受けたので、同日、通院加療を打ち切つた。

(三) このような次第であるから、結局、原告は、本件事故により、前記(一)の左第四肋骨々折の傷害のほか、右神経難聴の後遺症を受けた。

3  責任原因

(一) 不法行為責任(民法七〇九条)

被告水山は、事故当日、本件事故現場の交差点に進入するに際し、自動車運転者としては、一時停止して安全を確認すべき注意義務があつたのにこれを怠たり漫然と加害車を運転した過失により、本件事故を発生させた。

(二) 運行供用者責任(自賠法三条)

被告出口は、加害者を所有し、同水山は、同自動車を運転し、これを運行の用に供していたものであるから被告らは、自賠法三条の責任がある。

4  損害

(一) 入院雑費 四〇〇〇円

一日五〇〇円の割合で八日分合計四〇〇〇円である。

(二) 逸失利益 一七五万四九四〇円

(1) 休業損害 一二万六四八〇円

原告は、事故当時、一九歳で資生堂株式会社の美容部員として勤務し、事故直前三か月間(稼働六六日)に合計二六万九二九一円の収入があつたが、本件事故により、昭和五一年二月二三日から同年四月二日までの間で三一日休業し、そのため、一二万六四八〇円(269,291÷66×31)の収入を失つた。

(2) 将来の逸失利益一六二万八四六〇円

原告は、前記右神経難聴の後遺症障害のため、その労働能力を五パーセント喪失したものであるが、原告の就労可能年数は、満六七歳までの四六年間であるから、その間の逸失利益をライプニツツ方式に従い算定すると次のとおり、一六二万八四六〇円となる。

1,801,663×0.05×18.077=1,628,460

(三) 慰藉料 一〇五万円

原告の本件事故による慰藉料は、入通院によるもの七〇万円、後遺症によるもの三五万円の合計一〇五万円が相当である。

(四) 弁護士費用 二五万円

原告は、原告訴訟代理人に対し、本件交通事故による損害賠償請求の訴訟遂行を委任し、請求認容額の一割を報酬として支払う旨の約定をなしたところ、その額は、二五万円が相当である。

5  よつて原告は、被告らに対し、各自、右損害合計金三〇五万八九四〇円のうちの金二五〇万円および右金二五〇万円から前項の弁護士費用二五万円を控除した金二二五万円に対する本件事故発生の日の翌日である昭和五一年二月二三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(一)の事実は認める。

同2(二)の事実のうち、原告が、その主張の期間、山近病院に通院し加療を受けたことは認めるが、青木病院入院後二、三日してから、右耳の聴力の異常に気づいたとの点は、否認する。

原告は、被告水山に対し、本件事故発生の直前に、時々耳鳴りがして耳が聞こえづらくなるとか、青木病院入院中に、以前から耳鳴りがして聞こえづらくなることがあるとか述べており、したがつて、原告の聴力損失は、本件事故に起因するものではない。その余の事実は、知らない。

同2(三)の事実のうち、原告が本件事故により、右肋骨々折の傷害を受けたことは、認めるが、その余は否認する。

3  同3(一)の事実のうち、被告水山が加害車の運転者であつたことは認めるが、その余は争う。

同3(二)の事実のうち、同出口が加害車の所有者であることは認めるが、その余は争う。

原告は、事故当日、被告水山、同被告の友人である訴外尾崎英敏、原告の友人である訴外緒方美智子らとともに、右尾崎が同人の義兄である被告出口から借り受けた自動車で、御殿場方面へドライブに出かけ、午後七時ころ、全員で世田谷区内の尾崎の下宿に戻り、当日のドライブは終了した。ところが、その後、被告水山は、原告、緒方らの要請によつて、同女らを寮まで送ることになつた。したがつて、右自動車の運行は、専ら原告の用件で原告の指示の下でなされたものであるから、原告自らも運行供用者であつて、原告は、自賠法三条の「他人」に該当しない。

4  同4の事実のうち、原告が本件事故当時、株式会社資生堂の美容部員として勤務していたことは認めるが、その余は、知らない。

第三証拠〔略〕

理由

第一事故発生ならびに原告の受傷と事故との因果関係

一  請求原因1、同2(一)の事実、および同2(二)の事実のうち、原告が本件事故により左第四肋骨々折の傷害を受けたことについては、当事者間に争いがない。

二  いずれも成立に争いのない甲第五、第六号証、第一一号証の一、二、第一三号証、証人飯島陽一、同中嶋桂子の各証言および原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件事故発生当日の昭和五一年二月二二日から同年三月一日まで浦和市所在の青木病院に入院し、右事故により受傷した左第四肋骨々折の加療を受けていたところ、同病院に入院後二、三日してから初めて右耳の聴力に異常があることを自覚し、直ちに担当医師や同室の入院患者、見舞客らに告げたこと、青木病院退院後転医して右骨折の加療を受けた山近病院においても診察にあたつた医師に聴力の異常を訴えていること、次いで小田原市所在の耳鼻科専門の荒井医院に通院して右耳の加療を受け、更に同病院の荒井医師の紹介により、昭和五一年三月一八日から昭和五二年三月四日までの間、毎月一回東海大学医学部附属病院耳鼻咽喉科に通院して同病院の担当医新川敦医師から、病名右神経難聴の診断を受け、右耳の加療を受けるようになつたこと、右耳の聴力は、当初の三、四か月までは幾分回復をみたもののその後症状が固定し、結局、昭和五二年三月四日、同医師より病名右神経難聴で右平均聴力五一・二dBの聴力損失があり、その回復は、不可能と考えられるとの診断がなされたこと、

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  そこで、原告の聴力損失が本件事故によつて生じたものか否かにつき検討する。

本件事故は、原告の同乗していた被告水山清吾の運転する加害車が本件事故現場の交差点において、加害車の進行方向左側から同交差点に進入してきた訴外池場豊運転の普通乗用車と出合頭に衝突したことは、当事者間に争いのない事実であり、更に、前記甲第五、第一一号号証の一、二、いずれも成立に争いのない甲第一ないし第四号証、第一四号証、原告本人尋問の結果真正に成立したと認められる甲第九、第一〇号証、証人飯島の証言および原告本人尋問の結果によれば、本件事故により、訴外池場豊運転の自動車の前面が加害車の左側ドアに激突し、その結果、当時運転席左側の助手席に坐つていた原告が前記肋骨々折の傷害のほか、左腕、左太腿部および左顔面のあたりにも傷を受けたこと、原告が本件事故発生日の二、三日後から右耳の難聴を訴え続け、転医して専門医の治療を継続して受けていること、東海大学医学部附属病院での治療の結果、当初の三、四か月までは、幾分なりともその効果があらわれ、聴力が回復したと見受けられること、原告は、事故の翌日から職場を欠勤し、昭和五一年四月三日復職したものの、仕事の内容がデパートや化粧品店に派遣されて商品の販売にあたるというものであつた関係上、右耳難聴のために接客に支障が生じ、退職を余儀なくされ、同年一二月二五日、資生堂株式会社を退職したこと、その後、昭和五二年六月一五日就職した日立製作所小田原工場では、接客に関係のない事務の仕事に従事していること、原告には、本件事故以前に耳の既往症はなく、出身高等学校の昭和四七年当時の健康診断においても、同校卒業後就職した株式会社資生堂の職場においても、何ら聴力に異常があつたと認められるような事実は見受けられないこと、原告の耳を診察した東海大学医学部附属病院の医師も、一〇〇パーセント断定することはできないとしながらも、原告の聴力損失は、本件事故が原因である可能性が高い旨診断していること、

以上の事実が認められる。

もつとも、被告らは、右の点につき、原告自身が、右耳の異常について、本件事故以前から既に耳鳴りし聞こえにくくなるといつた症状があつた旨告げていたと主張し、被告水山本人の供述中にもそれに添つた供述もあるが、右供述は、前掲各証拠に照らし容易に信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

以上、本項における各認定事実に前項の治療の経過を合せ考慮すると、原告の右耳の聴力損失は、本件事故によつて生じたものというべきである。

第二責任原因

一  加害車の運転者が被告水山であり、右加害車の所有車が被告出口であることは、当事者間に争いがない。

二  原告および被告水山各本人尋問の結果を総合すると、本件事故は、被告水山が、事故当時、夜間で雨も降り、とくに本件事故現場付近の見通しが悪く、しかも付近に一時停止の標識があつたのであるから、運転者としては、一旦停止して安全を確認すべき注意義務があつたのにかかわらず、これを怠り、漫然と加害車を進行させた過失により発生したものであることが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

三  右各証拠によれば、事故当日、原告は、原告と同じ会社に勤めていた友人の訴外緒方美智子に誘われ、同女の知り合いの訴外尾崎英敏、同人の友人の被告水山らとともに、尾崎が同人の義兄である被告出口から借り受けた加害車で世田谷区豪徳寺所在の尾崎の下宿前から出発して御殿場方面にドライブに出かけ、午後七時ころ、全員で尾崎の下宿に戻り、その日のドライブを終了したのであるが、その後、尾崎および被告水山らが原告と緒方をその寮まで加害車で送る途中、尾崎の下宿先である豪徳寺から南浦和駅前までは尾崎が運転し、同駅前の喫茶店に立ち寄つた後、被告水山が尾崎と交替して運転を始め、わずか五〇メートルないし六〇メートル進行した地点で本件事故が発生したこと、原告は、訴外緒方美智子とは、同僚として互に知り合いであつたが、被告水山や尾崎らとは、当日初めて知り合つた仲であること、原告および緒方らが尾崎の下宿に到着後全員解散して帰路につこうとした時は、既に、午後七時ごろになつており、しかも当日雨が降つていたが原告ら女性二人は傘を持つていなかつたこと、右のような状況の下で尾崎と被告水山は、自発的に原告ら女性を寮まで送ることになつたこと、以上の事実が認められ、これを覆すに足る証拠はない。右事実から判断すれば、被告水山ら男性は、少なくとも原告の依頼によつて初めて運転を決意するに至つたわけでなく原告ら女性の前記状況を察し、半ば積極的に原告らをその寮まで送ることにしたと認めるのが相当であるから、被告らが主張するごとく加害車の運行が専ら原告のためで、かつ原告の被告水山や尾崎に対する指示によつてなされたとは到底認められず、原告が、自賠法三条の「他人」であることを否定することはできないと言わなければならない。

四  してみると、被告出口は、加害車の運行供用者として自賠法三条に基づき、また、被告水山は、一時加害車を運転していたにすぎないから、同法三条にいう運行供用者には該当しないものというべきであるが、民法七〇九条の不法行為に基づき、それぞれ、原告に対し、本件事故による損害賠償責任を、連帯して負担するものというべきである。

第三損害

一  入院雑費 四〇〇〇円

原告が八日間入院したことは、前示のとおりであり、その間入院雑費として少なくとも一日五〇〇円の割合による八日間分合計金四〇〇〇円を支出したことは経験則上容易に推認される。

二  逸失利益 一七一万八七九四円

1  休業損害 一一万七〇八〇円

原告本人尋問の結果および同尋問により真正に成立したと認められる甲第八号証によれば、本件事故直前三か月間(九二日間)における原告の収入は、二六万九二九一円であること、原告は、本件事故により昭和五一年二月二三日から同年四月二日まで四〇日間休業せざるを得なかつたことが認められ、他に右認定を動かすに足る証拠はない。してみれば、原告は、本件事故により、次のとおり合計金一一万七〇八〇円の得べかりし収入を失つたものというべきである。

269,291÷92×40=117,080

2  将来の逸失利益 一六〇万一七一四円

前記甲第五号証、成立に争いのない甲第七号証および原告本人尋問の結果によれば、原告の右神経難聴の後遺症は、昭和五二年三月ごろ固定し、当時原告の年齢は、二一歳であり就労可能年数は、同月から四六年であること、事故直前一年間(昭和五〇年)の原告の収入が一八〇万一六九三円であつたことが認められ、前記認定の後遺症の程度によると、原告は、その労働能率を五パーセント喪失したものと認めるのが相当であるから、後遺症による労働能力喪失による逸失利益をライプニツツ方式に従つて算定すると、次のとおり金一六〇万一七一四円となる。

1,801,693×0.05×17.880=1,601,714

三  慰藉料 五六万円

原告の本件事故による傷害の内容、程度、治療の経過期間、原告の職業、後遺症の程度その他諸般の事情を考慮すると、本件事故により原告が被つた精神的損害は、金五六万円と認めるのが相当である。

四  弁護士費用 二〇万円

本件における証拠蒐集の程度、審理の経過、請求額および認容額に照らすと、原告の弁護士費用支出による損害は、金二〇万円とするのが相当と認められる。

第四結論

以上のとおりであるから、被告らは、原告に対し、各自本件事故によつて原告が被つた損害金の合計金二四八万二七九四円および右全損害金二四八万二七九四円から弁護士費用二〇万円を控除した金二二八万二七九四円に対する本件事故発生の日の翌日である昭和五一年二月二三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるので、原告の本訴請求は、右の限度においてこれを認容し、その余は、失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条但書、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤瑩子)

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